2015年4月4日土曜日

オリーブ少女



「紙の本を読みなよ…電子書籍は味気ない」
というのが、アニメPSYCHO-PASSの悪役であるマキシマ氏の名言なのですが、
(紀伊国屋書店で"PSYCHO-PASSフェア「紙の本を読みなよ」"とか開催されていた)

私は新書や情報収集だけが目的の雑誌などは電子書籍で購入していますが、好きな作家や、エディトリアルが綺麗な雑誌の場合は紙で購入しています。
紙の方が高いし場所もとるのでこうして買い分けはするのですが、紙の触感や印刷の匂い(ほとんどしないけど気持ち的に)、手に持った時の重さ、装丁が好きだし、好きな作家さんの本が本棚にあるという空間自体好きなのだと思います。一歩間違えると本棚をうっとり見つめたり本に顔を埋めてスーハーやってるような変態になりかねませんが。

ちなみに、紙媒体は終わってるぜ、と思ったそこのあなた。ぜひ「世界一美しい本を作る男〜シュタイデルとの旅〜」 というドキュメンタリー映画を観てみてください。世の中には、こんなに忙しい出版社があるのです。






高校生のときに、装丁と素敵なタイトルに引き寄せられて手に取って以来、わたしの人生のバイブルだ!と勝手に思っている本があります。

森茉莉著:「贅沢貧乏」です。


ごく簡単に著者について説明すると、森鴎外が溺愛しまくった娘さんです。
元々翻訳などはされていたのですが、作家としてのデビューは50代に入ってから。贅沢貧乏は60歳の頃の作品です。詳しくはWikipediaなどチェックしてみてください。なかなか波瀾万丈な人生を歩んだ方です。

とにかく並外れた観察眼を持っていて、身の回りにある何気ない風景を表現する文体が凄まじく美しいです。「贅沢貧乏」はエッセイとして位置づけられているのですが、仕方なくエッセイに分類されているだけで、未だこの作風を正しく分類できるジャンルは存在しないのではないかと思っています。
また、批判精神にも満ちあふれていて、読んでいてかなりすっきりします。

日本人の持つ”いき”と、父である鴎外の欧米主義や数年間生活したフランスで培った西洋的な美的感覚、芸術を観る才能から生み出された機微に触れる表現。文章のどこか一文を読むだけでも美しいし、読んでいると文章が綺麗な映像として頭に入ってきます。


そんな彼女は貧乏臭さを嫌悪する一方で、偽物の贅沢も同じぐらい嫌っていて、そういう人々のことを「貧乏贅沢」と呼んでいます。

だいたい贅沢というのは高価なものをもっていることではなくて、贅沢な精神を持っていることである。容れものの着物や車より、中味の人間が贅沢でなくては駄目である。指環かなにかを落としたり盗られたりしても醜い慌てかたや口惜しがり方はしないのが本ものである。我慢していないのではなくて、心持がゆったりしているから呑気な感じなのである。(また直ぐ買えるから、ではない)” (「贅沢貧乏」”ほんものの贅沢”より抜粋)

この、「(また直ぐ買えるから、ではない)」と最後に釘を刺すあたり、ニクいですね…。
この章では、精神的に贅沢であるべきだと主張していますが、他にもモノの見方、美しさや芸術を見極めることの重要性について言及していたり、読んでいて勉強になることだらけです。

「贅沢貧乏」の他にも、食べ物を中心に綴った「貧乏サヴァラン」や、「私の美男子論」(!)など面白い作品が多数あります。
私は好きすぎて、「枯葉の寝床」とか「甘い蜜の部屋」(もうタイトルからして…)など小説の方にも手を出しています。内容については触れませんが、一つ言えるのは凄いです。とにかく、凄い。笑


そういうわけで、高校時代森茉莉さんにドハマりしていた私は、贅沢貧乏で「オリーブ」が漢字で書かれているのを見て感動し、机にガシガシといくつもオリーブオリーブ、オリーブ(全部漢字)と描いて「おい…ハシバさんの机何描いてあるんだよ…」とクラスの男子を気味悪がらせていたようです。

それで考えると私もオリーブ(雑誌の方)少女、なのかもしれない….


(ちがう)